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2019年4月

2019/04/22

長野マラソン2019

最近マラソンの時はあらかじめ水とザバスのミルクプロティンと豆大福的なものを持参し、ゴールしたあと着替えの前に摂取することにしている。速やかな回復のためにと思って。長野マラソンではゴール後に長野県産風さやかの梅干し入りおにぎりやアミノバイタル金(粉)、アミノバイタル水なども親切な高校生からねぎらいの言葉とともに手渡されるので、さらに回復が早まる。

何故こんなことから書くかと言えば、記録が芳しくなかったからだ。逃避というやつだ。

練習の感触からして、そして前半の涼しさからして、いよいよ今回は念願の3時間半を切るだろうと思っていた。慣れ親しんだの練習ペース4分50~55で楽々進む。ところが調子が良かったのはエムウェーブまで。ぐるっと回って折り返すあたりから減速感と右腿に攣りそうな気配を感じた。なぜなのか。15-16キロ地点で毎年応援してくれているラジカセのYMCAがなぜか今年はやけにボリュームが小さかったのが影響してるのだろう  か。ラジカセが調子悪かったのだろか、「15キロ もうすぐ聴こえる YMCA」とものした千葉県のヤングマンさんの心境やいかに。Ws001749

いやそうではない。それまでの曇り空から一転、このあたりから太陽さんが出てきたのだった。太陽がでてきたからと言ってすぐに身体に影響するわけがないのだが、なぜこうなるかと言うと脳のリスク管理部がチキンだからだ。過剰反応してすぐに危険注意情報を出してきがる。そんなチキンに答える答えはただ一つだ。「ノー」だ。反抗の意味で予定より早く黒のメイタンを摂取。

中間地点の五輪大橋の料金所を過ぎたところで3時間半のペースメーカーとその集団に抜かれた。昨年もここで抜かれたなあと思いながら、今年はメイタンが効いているのでなんとなくついて行く。太陽の日差しは強まってきて、給水所ごとに持参したボトルに水をもらい頭に水を掛けながら走るランディス作戦。ちなみに今回筆者の着ているジャージはファッサ・ボルトロだ。

25キロのホワイトリング、赤のアミノバイタルを配布してくれているなんともありがたい補給所だが、それを受け取る元気がない。それどころかジャージの背中ポケットに同じものが入っているのにそれを摂取するのすら億劫だ。いよいよやばい。そんな感じの確か26キロ、キロ看板に併設されていたおれの中のひさびさのヒット作「つらくても 明日は来るよ 長野ロス」という川柳がおれの目を覚ます。そうだよ、明日後悔するんだよきっと。一年後は結構遠い。Ws001747

30キロの通過、2時間29分16秒。3週間前に楽々こなした30キロ走よりも3分遅いし給水も応援も至れり尽くせりなのにこんなにへばってるのはどういうこんぞ(山梨弁)。しかも練習では攣ったことなどない脚が攣り始めている。練習より遅いペースなのに。チキンのリスク管理部に再度ノーを示す意味でキプチョゲ選手のイメージでスピードを上げたら両腿同時痙攣、道端で30秒ほど立ち止まり動けず。

岩野橋を渡って折り返し35キロ。左に堂々とした飯綱山、右に千曲川沿いに美しい菜の花と桃の花、最高の景色を眺めつつ、腿の痙攣に関して脳のリスク管理部と折衝しながら歩くように走る。苦し紛れに、

「あの山はなんて山ですか?あれが飯綱ですか!立派ですね」
「あの花はなんの花ですか?桃ですか!きれいですね!」

知ってるんだけど、そう係員の方や応援の方に声を掛けてみたら親切に教えてくれ「がんばれ」と送り出してくれた。やばい、うれしい。脚は動かないけど楽しい。これでゴールまで走れそうな気がした。いつもは向かい風になって苦しい印象のあるこの区間だけど、なんか来年からは楽しみな区間になりそうだ。

タイムは3時間41分35秒(3時間39分46秒)。3時間半どころか昨年よりも遅く、なんなら2015年より遅かった。どうすりゃいいのさ。

今年印象に残ったこと
 ・エムウェーブで長野東高の吹奏楽が「負けないで」を演奏してくれていた。自分はこの「負けないで」があんまり得意でなかったのだが、その演奏に合わせて周りの応援の方たちがめいめいに自然発生的に「負けないでもう少し♪」と控えめな感じで歌ってるのが聴こえたときには、かなりグッと来た。負けないで行こうと思った。負けたけど。
 ・一方、ゴールのオリンピックスタジアム入り口の吹奏楽の演奏は、「アイ・オブ・ザ・タイガー」だった。いわゆるサバイバーだ。
 ・一方、善光寺からの中央通りで毎年「信濃の国」を聴かせおれを鼓舞してくれる男声合唱団、今年はタイミング悪く歌と歌の合間に通りかかってしまったようでその歌声が聴けなかった。残念。
 ・一方、最初聴いたときにはピンとこなかったが、報告ムービーとともに耳にするうちにかなり好きになってきたカナディアンクラブ、いつも前日受付の会場でブースを構えていた記憶があるので今年はシーディーを購入しようかと目論んでいたのだが、ついぞ発見することができなかった。人が多すぎて自分が見つけられなかっただけなのかたまたま休憩時間だったのか。来年に期待。
 ・一方、今年も実家に世話になったのだが、その屋敷の満開の桜に毎日通っているという鶯がやたら美声。

ゴール後の更衣室の体育館のひんやりした床に仰向けになって記録を更新した感慨に浸るのが至上の喜びなのだが、今年はそういった感慨に浸ることかなわず、相変わらず不調の右足の小指球(なんて用語はあるのだろうか?)小指の付け根に帰宅するためのテーピングを施し、オリスタの観客席から制限時間までゴールを応援してからシャトルバスで長野駅、草笛のくるみ蕎麦を一枚手繰って長野をリーブ。Ws001750

 

 

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2019/04/14

長野1週間前

昨日土曜日、気持ちよく10キロ走っとくかと思って走り出してみたが脚は動かず体は重く、まったく気持ちよくない。長野マラソンまで1週間、にわかに不安が走る。

今日日曜日、昨日のは無かったことにして改めて10キロ。今日は気持ちよく走れた。よかった。菜の花が綺麗。

レースが近づくと自分もいっちょ前に調整と称して練習量を減らしてみるわけだが、距離を減らすのはともかくとして、日数を減らすとどうもこのように調子が落ちるようだ。若いころはそうでもなかったが、年を取ってから近年そう感じる。

実は先週の日曜以来一度も走れなかった。だから土曜の不調の原因はそのせいだろう。しかも会議やら書類づくりやら座ってばかりの毎日で活動量がやたら低かった、座ってばかりいると寿命が縮まるというが、タイムは縮まらないようだ。

とにかくあと1週間なので、来週はなんとか1日おきくらいで走っておき、いいイメージを繋いでおきたいところ。しかし仕事の方が困った状況。4月の組織変更のせいでバタバタ、精神的にまるっきりネガティブ。いわゆるネガティブ・スピリットというやつだ。マラソンで前半より後半にタイムを短縮するのはネガティブ・スプリットだ。ピをプに替えるだけ。簡単なこった。

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2019/04/06

ふきのとう

実家の兄がふきのとうを送ってくれた。ふき味噌とふきの酢漬け。雪国からの春のおすそわけ。


ふきのとうも例にもれず、子供の頃はなにが好きでこんな苦いのを食うのかわからなかったものの一つだが、50を過ぎたいまでは、こんなうまいものはないと思うから不思議。


ふきのとうというともう一つ思い出す。小学校の自分のクラスの学級通信のタイトルが「ふきのとう」だった。学級通信というか、児童の作文とか先生から父兄への連絡とかを記載したボールペン原紙で書かれた通信。ボールペン原紙と言ってる時点で懐かしさが募る。


クラスと言っても自分が通った小学校は1学年1学級。特に自分の学年は人数が少なくて、男子6人女子7人の13人学級だった。3年から6年まで担任してくれたのは新卒の女性教諭だった。「ふきのとう」を毎月届けてくれた柳原小学校の後藤先生、お元気だろうか。


春のこの時期というともう一つ思い出すのは、あれは中学を卒業し1年たった次の年。家から大道にまでの数十メートルの私道、まだ1メートル近くある積雪を、トレーニングとばかりにスノーダンプで除雪していたときだ。近所の一学年下のタダシ君が通りかかったと思うと「北高合格したんです。ありがとうございました」とわざわざ近くに来てうれしそうに挨拶してくれたことだ。北高は地元の進学校。小さい集落なので小学校のことはいつもつるんで遊んでいたが、中学に入ってからはあまり話すこともなくなっていた幼馴染が、こうしてわざわざ改まって挨拶してくれたことが、地元の同級生から一人離れ市外の学校に通い少し人恋しさを感じていた自分にとって、なんとなくうれしかったのだ。

 

春になると、ふきのとうの苦さを味わうと、スノーダンプで掬った雪を流す小川のせせらぎとともに、そんなことを思い出すのだ。桜のエフェドリンでやられてるのだろうか。

 

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