カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2005/03/15

いのちの食べ方

■海賊だ。今朝のNHKの朝7時のニュースに大きな時で「海賊」二文字と表示されるのを見た。トップニュースだ。でもことの深刻さとは裏腹に,どこかくすぐったいような,変な感じを受けてしまったのは,その単語がなんとなく大人の使う言葉ではないような気がしてしまうからで,なんとなくビッケのお父さんを思い出してしまうのだった。愉快なバイキングだ。

■森達也『いのちの食べ方』昨日寝る前に読んだ。こども向けの本なのでページ数は少な目で,文字も大きくふり仮名までふってあるのですぐに読み終えた。内容は食肉の流通過程がなぜ私たちから隠されているのかという疑問を切り口に,生き物の命を奪うことでしか私たちは生きられないということ,差別がなぜなくならないのかということ,戦争はなぜ起こってしまうのかということ,いろんなことを考えさせる。そしてそんな私たちに大事なことは,自覚すること。目を背けないこと。森氏のすべての作品に通じるメッセージだ。食べられるために殺されていく動物達への敬意という部分は,なにか中沢新一の本で読んだ神話がオーバーラップした。

■森達也について興味を持ったのは,スカパーのシネフィル・イマジカで『A2』公開に併せた短いインタビュー番組を見てからだったと思う。オウムを題材にしたあの映画だ。それ以来『A』,『A2』の映像作品はもちろん彼の単行本も入手できるものは可能な限り入手して読む,とても好きな作家だ。彼がニールヤング好きだというのも思わず何度もうなづいてしまう要素の一つで,911のチャリティーコンサートにニールヤングが出ると聞き,ああ,ニールヤングまでもあの独善的なゴッド・ブレス・アメリカを歌うのかと悲しみ,しかし後日,ニールヤングはあえてあのステージで自分の持ち歌を歌わず、戦争への疑問を抱かせるという理由でまたしても放送禁止になったいたジョンレノンの『イマジン』を歌ったということ知りとてもうれしかった,というエピソードにはまったくもって共感し,今思い出してもついコブシを握り強く深くうなずきたくなるというものだ。

■家に帰ってみると、コクーンが青く光っている。あなたの気に入りそうな番組を録画しておきましたよ、というしるしだ。はあ、そうですか、とつけてみると、録画されていたのはNHK「歌謡コンサート」だった。なかなかユニークな番組なのは確かだが、これを勧める根拠がわからない。やや戸惑ったものの、ことば一郎が出ていたので、まいいか、とつけっぱなしに洗濯などはじめた。洗濯から戻って来たときにやっていたのが、ひととようの花見月だ。この歌は知っている。なぜなら、私の好きなNHKのど自慢でよく歌われる曲だからだ。しかし、この歌にこんなフレーズがあるのは知らなかった。
「あなたと好きな人が 100年続きますように」
おお。鮮やかなフレーズ。やるなあ。「死ぬまで」とか「永遠に」とか「いつまでも」じゃなくて「100年」ってのはいい。もしこれが「10年」だったらことだ。しかしなんでのど自慢で聴きなれたはずの曲なのにこんないいフレーズがあることを知らなかったのだろう。それは、のど自慢は歌ではなく人が主体の番組だからだ。さらに言えば、合格でもしない限りこのフレーズにたどりつく前に秋山気清の鐘が二つ、容赦なく打ち鳴らされるのであった。

■その歌謡コンサートで何曲か後、蘇州夜曲という曲が演奏された。森達也の本で、かつてこの曲も放送禁止扱いを受けていたことを知識としては知っていた。この曲ならどこかで聴いたことがある、懐かしいいい曲だ。蘇州という植民地時代の地名に中国大使館から抗議が来たのが禁止の理由だとまことしやかに語られたが、実は規制などなかったというこの曲。深く理由を考えもせず自主規制した人たち。主語を自分に置かないから思考停止が起こる。森氏のこの言葉がこころに浮かんだ。

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2005/03/12

猫である

■hyhさん、コメントありがとう。やっぱりひくよねーこの時期は。やっぱあれ、はやりだから。

■そして土曜日出勤シリーズも今日で最終日。風邪が治ったのでほぼ2週間ぶりに自転車で通勤できた。鼻水が出て困ったけどやっぱり自転車はいいと思ったのは,気持ちが晴れ晴れするし,集中力が上がって午前中の仕事がはかどるからだし,自分の筋肉がいい仕事をしていると自覚できるのもなかなか愉快なことであり,渋滞している車列を横目にスイスイ追い越して行けるのもこれまた愉快なのであって,路地に入りふと前を見るとおや?道を横断しようと左右確認する虎柄のねこが、すかさず脚を止めて道を譲るという人間として当然の行為を行った自分の人間としての正しさと,そんなあやしげな人間を一瞥した後、悠然と道を渡りきったトラの,ねことしての正しさに満足したからだ。トラというのが彼の名前なのかどうかはわからない。

■夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み終えた。こんなにおもしろかったのかと思った。確か小学校の時に一度読んだことがあり,そのときは,猫がもちを食べようとして踊りを踊ったのがおもしろかったのと,最後にビールを飲んで甕(かめ)に落ちて死んでしまうのがかわいそうだったのと,やたらと脚注が多くて閉口したこと,だいたいそんな程度の感想であり,むしろ厚い本を読み終えたという満足感の方が大きかったくらいなものだ。それがどうだ。今読んでみるとおもしろくてしょうがない。
いま感じる『猫』のおもしろさは,漱石の博覧強記,ユーモアのセンス,猫,そういったところだが,とくに注目なのは猫だ。猫の心理描写にわれわれねこ好きはにやにや笑いを禁じえない。そして猫を食ったという書生君に憎しみの念を禁じえない。
さて小学生の自分と今の自分。『猫』の読み方で一番違った点はと言えば,それは視点だ。小学生の自分は無意識にも人間の視点で,たぶん苦沙味先生を一人称において『猫』を読んでいた。今の自分はまったくもって猫の視点だ。猫なりに達観し,猫なりに憂慮し,猫なりに探偵した。この視点の差はどこからくるのか,それを私は知っている。最初に『猫』を読んだのは小学四年か五年のことだ。クロが我が家に来たのは私が小学校六年生のときだ。つまりそういうことだ。

■クロというのは私の実家の初代ねこの名だ。

■今回読んでいる最中,何度か町田康の名を連想した。なるほど,いい影響を受けてる,というか町田氏はそうとう『猫』が好きなのではないかと思った。ちなみに町田氏の『猫にかまけて』はまったくもっての名作だ。いわゆる"町田節"が炸裂しおもしろくてしょうがない前半と、あの町田が、あの町蔵が、町蔵節をも忘れ素になって愛猫の最期を描く場面。とくに後者には私も涙を禁じえなかったし、今日すれ違ったトラ先輩も「町田氏には一目置く」と語っていた、ように思うんだ。たぶん、そのしっぽで。いずれにしても、ねこが好きな人には是非読んでみて欲しい一冊です。

■それにしても日本一の知識人だ、夏目漱石。千円札を引退するのがなんだか残念でもあり,最近では夏目のきれいなお札が手に入ると,私は使わずに取っておくことにしている。世界に誇る知識人の恩恵にあずかりたいという下心と,ねこ好きの偉大な先達への尊敬からだ。

■会社でRedhatLinuxのエンブレムシールを2個入手。これで自分が持っていたのとあわせて3つになったけど,自分の管理してるサーバでほとんどVineLinuxに移行してしまい,Redhatを使ってるのはもはや1台だけなので,どうしたものか。今回手に入れたものは,会社の倉庫に1999年から眠っていたRedhat5.2のパッケージに入っていたものらしく,そんならもっと早く欲しかったのにと思った。しょうがないから自転車にでも貼るか。でもオレのヘルメット青色だった...

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