« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »

2024年1月

2024/01/29

館山若潮マラソン(2024)

数えてみたら館山若潮マラソンを走るのは9回目。最初に走った時は上り下りばかりのコースがきつくてもうやだと思ったが、今ではその変化のあるコースも魅力の一つだと感じるまでになってきた。

家からクルマで1時間40分くらい。7時前に到着して芝生の駐車場に止めた。スタート時刻のちょうど1時間前くらいに地震があった。その時ちょうどクルマの中にいたせいかかなり揺れた。参加案内(アスリートガイドとしてpdfで公開されてる)は熟読する方だ。館山の参加案内は震度や注意報発令時の対応や防災マップが載っていることに感心しながら、避難場所は八幡神社であることを覚えていた。震源地は東京湾。今まさに面している館山湾は東京湾の湾口だ。しかし幸いなことに津波注意報は出なかった。しかし周りを見るとみんな平然としていてよっぽど地震に慣れてるのか気づいてないのか、ビビっているのは自分ともう一人クルマの中から出てきてびっくり顔をしている方くらい。やっぱ不安定な芝生の上に停めてあったから揺れが増幅したんだな。後で確認すると館山は震度2。

Ws000291
朝の館山湾。富士山見えず。

気温9℃くらいの穏やかな天気のなかスタート。スタートから序盤にかけてはポカポカ陽気でも中盤折り返して終盤向かい風になると途端に寒くなるのが館山若潮マラソン。その辺9回目くらいになるとさすがに学習して腰にはウィンドブレーカを巻いておいた。

茄子が走っていた。着ぐるみ。序盤は暑いだろうが後半の寒さ対策としては有効だ。顔出し穴から除く表情はかなり必死だ。沿道のおじいさんがものすごくうれしそうに「おい、ナスがんばれ」って応援してるのがよかった。

晴れていれば富士山が見える館山湾沿い、見物(地名)の辺り、今日は曇っていて見えない。波は問題なさそう。チーバ君のつま先辺りに位置する洲崎灯台を通過する辺りから横風が冷たく感じ始めたのでウィンドブレーカに袖だけ通す。前腕部が防風されていると手が冷たくならないので補給に支障が出ずに済む。

いつもはエナジージェル的なものを何本か持つのだが、今回は自作のドリンクを用意してみた。パラチノースの粉をコカ・コーラで溶かして岩塩を一振りしたものをキャップ付きの小さいパウチに入れて携行した。紅茶が出過ぎないように塩を入れるといいという説に本場英国が激怒したというようなニューズがあったばかりだがコーラにパラチノースや塩を混ぜても誰も怒らないだろう。吸収が遅いの(パラチノース)と、吸収が早いの(コカコーラ:グルコース+フルクトース)をミックスするのがいいらしいのでこの調合にしたが、そんなことより何よりコカコーラの味こそに最大の効果を感じた。コカコーラなんて普段飲まないし成人してからの合計でも体に入れたのは500ml以内じゃないかと思うし子供の頃から好きでもなかったが、走ってるときのあの味というのは強力だと思った。市販のジェルと違って胸やけしないのもいいしなにしろ安上がりなのがいい。

22キロ過ぎに折り返して予想通り向かい風が冷たいのでウィンドブレーカの前を締めた。ここで体が冷え切ってしまった年は後半泣きながら走るしかなかったが、今年は対策がうまくいって楽しい。パウチのスクリューキャップも難なく開けることができる。

30キロ過ぎの上りがコース最大の難所と言われている。ここを快調に上り切った。たぶん9回走った中で一番速く上ったと思う。そして続く長い下りで爪を痛めた。両足の親指の爪。下りは苦手だ。

まだ先は長い。何と言ってもこの先には下りの苦手な自分にとって最大の難所である休暇村への急坂が待っている。少しでも爪を守ろうと思って一旦立ち止まりシューズの紐を締めなおした。足を踵側に一杯まで寄せてアーチを引き上げるようにして紐を締めた。走り出してすぐに分かった。締めすぎた。足首が痛い。もう一度立ち止まって締めなおしたが、結局爪の痛みは解消しなかった。爪にどういう負荷が掛かるのが原因なのかよくわからない。爪がシューズに当たってるかというと必ずしも当たっていない。どちらかというと地面からの衝撃とか強く踏みしめることで起こってる感じ。随分簡単になってしまうのは抗血栓薬も影響してるのかなとも思う。

後半は爪をかばいながらも無事にゴール。中学生が「バナナ2本どーぞ」というので「ください」と言ってもらう。「クリームパンです」というのでそれもありがたくいただく。その場で食って相変わらずうまい。今年の完走タオルは珍しくゴワゴワした触感で気に入った。

Ws000293
面影ないくらい設計が変わっても石が挟まる伝統は継承している愛靴

なかなか以前の走力に戻らないので目標設定が難しいが、いまはシーズンベストを一つの目安にしている。さしあたって秋に走ったつくばマラソンが今シーズンで一番いいタイムだったのだが、今日と比べると
 前回 3:47:41(つくばマラソン)
 今日 3:47:36(館山若潮マラソン)
どうだ。5秒更新。2月の愛媛、4月の長野とこの調子で棒高跳びのブブカ方式でちょっとずつ更新していきたい。

| | コメント (0)

2024/01/23

シューズを新調した

冬のマラソン大会が近づいてきて焦ったというわけではないが新しいシューズを新調した。シューズはひどい場合は500kmを目安に買い替えよというような無茶な説もあるが、自分は走り方がおとなしいせいか800km使ってもほとんど傷まず少しソールが減るくらいなので困る。とりあえず1000km超えたら足の健康を考慮して、財布の健康との釣り合いも考慮して、だいたい年に1~2足のペース。玄関の足の踏み場は無くなるばかりだ。

M社の「リベリオンフラッシュ2」。いやーよかった。10km走ってみたら期待してた以上に良くてうれしがっている。久しぶりに、たぶん5年ぶりくらいに「合うシューズ」を見つけた。

最後にいいシューズだと思ったのはアディダスの「アディゼロボストン3」だった(5年前)。その前はM社の「ウェーブエアロ16」だった(6年前)。それ以降は買うシューズ買うシューズしっくりこなくて迷走状態だった。

ボストンシリーズはその次のボストン8が今一つしっくりこず(4年前)、厚底になってしまったボストン10はおれには完全に駄目だった(2年前)。もうボストンじゃないと思った。

Ws000286
歴代ボストン(玄関の現役分)

エアロシリーズはその次のエアロ18(3年前)のモデルチェンジで別物になってしまい、さらにモデルチェンジして厚底になったエアロ20は多分ソールのポツポツ(G3ソール)が原因で踏む角度によって硬くて硬くて特にマラソン終盤がつらかった(2年前)。

Ws000287
歴代エアロ(玄関の現役分)とリベリオンフラッシュ2

あとズームフライのフライニットと4も、苦し紛れに履いてはいるが、気に入って履いてるわけではなく、それどころか何かが合ってないとみえて最近はモートン病気味で足先に変な痛みが出るようになってきていた。

今回リベリオンフラッシュ2は発売とほぼ同時の購入。こんな浮わっついたことは普通しないのだが(たいてい型落ちになって半額以下になってから買うのだが)、異例の行動を採ったのは冬のマラソン大会が近づいてきて焦ったからでは決してなく(2回書くあたりがあやしい)、アウターソールがG3からラバーに変更になったと聞いたからだ。これをずっと待ってたのだった。たぶんエアロシリーズは廃止になってその後継がリベリオンフラッシュなのだと思うが、エアロ20、初代リベリオン、先代リベリオンフラッシュとG3ソールで、これさえなければと思っていたのだ。自分と同じことを思ってた人が多かったのかどうなのか知らないが、在庫がみるみる無くなっていくのを見て、無くなる前に手配しておいておいて正解だったと思った。

今日初めて履いて走ってみて、柔らかさは期待通り。モートン病に響くことが全くなかった。スーパーボールが立方骨の下に入ってるような独特の弾みは走ってるときよりも歩いてるときに「なんじゃこれ」的なおもしろさを感じた。ズームフライフライニットを初めて履いた時にもトリッキーなおもしろさを感じたがこれはそれ以上。プロレスに例えると藤波辰巳が登場したときがズームフライフライニットだとすればこっちはタイガーマスクのゴムまり感である。

そして何よりも気に入ったのは、接地が平らにピタッと決まることだ。そんなことは期待してなかったし変な形をしてるから不安定なのはある程度仕方ないことを覚悟していたくらいなのだが、いざ使ってみるとブレずに着地できて驚いた。この5年ほどの間に使ってきたどのシューズより安定している。こんな一様な圧力分布感と雑音の無い気持ちいい接地感は自分にとってボストン3以来。偶然自分の足癖にあっただけかもしれないが、スタックハイト差の小ささ(踵部と中足部の差は0.5㎜だという)も関係してる気もする。

進むかと言えばやっぱ進むと思うが(家で一番進むのはズームフライフライニットだったそれより進む)今はそれほど推進力は求めてない。自分の走力ではキロ4分30くらいが一番快適だったが(これ以上は力不足でわからない)キロ5分15くらいでも十分快適。足が痛くなくて楽しく走れるのを見つけられたのが満足。今週末の館山、来月の愛媛、これで安心して走れそう(やっぱりそこだった)。楽しみになってきた。

| | コメント (0)

2024/01/08

くるみ割り人間

胡桃を貰ったのでオメガ3を摂取しようと殻剥きをした。と書き始めて変換された漢字をみたら学生の時分柔道部に胡桃という珍しい苗字の先輩がいたのを思い出した。内またという技が得意だった。あとくるみと言えば世代的にはジャッキーチェンだ。映画の影響で中学男子はだいたいポケットに胡桃を常備し暇さえあれば指二本で割ろうと訓練していたものだ。もちろんカンフーのポーズで。割れる訳がない。

水に一晩浸して煎るといいと聞いたのでやってみた。継ぎ目が開くし殻自体も脆くなって確かに作業しやすかった。やっては見なかったがこれだったら2本指でも割れるかもと思ったが、この肝心な前処理の部分がジャッキーチェンの映画ではカットされていたということはないだろうか。あの胡桃を握り続けた日々はなんだったのか。

作業しやすかったとはいえ、やっとこ的なものも併用しながら小一時間かかってしまった。できるだけ実を割らずにとか言って遊んでるから時間がかかるのだが、やり終えてらくらくした。もう一度軽く煎ってから少し食べた。肝心のオメガ3は加熱すると簡単に酸化してしまうということは後で知った。しまったことをしてしまったが、香ばしくてうまかった。

Ws000273_20240108141501
水に浸けてるところ

Ws000270_20240108141501
殻を煎ってるところ

Ws000269_20240108141501
やっとこ的なもの(パイプレンチ)

Ws000271_20240108141501
やり終えたところ

Ws000272
酸化してるところ

| | コメント (0)

2024/01/06

ビタミンちくわ

年末に、確か今日の料理番外編のようなラジオを聴いていたら、台所から出汁を取っているいい匂いがしてくると大みそかだなと思う、という投稿が読まれていた。わかるわかると思った。

そして我が家の元旦の雑煮にはビタミンちくわが入ってたなと思い出したのは今日のこと。先日の地震で石川県の七尾市に本社のある「スギヨ」の被災を信濃毎日新聞の記事で知ったから。

なぜ長野県の信濃毎日新聞がピンポイントで石川県の会社スギヨのことを伝えたかと言うと、スギヨはビタミンちくわの会社だから。そして信濃の国でちくわといえばだいたい「ビタミンちくわ」のことだから。自分の世代だと「マルタツマルタツマルタツのビタミンちくわ」という歌がテレビコマーシャルの影響で脳みその深い層に漬け込まれてる。

「桝田屋のそば」「牛乳パン」「ぽんちゃんラーメン」「バナナボート」「やしょうま」などと並んで長野に帰省した際には仕入れたいと思ってる懐かし食品なのだが、帰るといつも忘れる。

現在はマルタツに代わってスギヨが長野県のビタミンちくわを支えてくれていたようだ。スギヨのWEBサイトにビタミンちくわの歴史のページがあって、おもしろかった。60周年に復刻版として販売された写真、緑のロゴで1本包装のが懐かしかった。やはりビタミンちくわというと緑のロゴな気がする。何かの行事だかのおやつでこの1本包装を配られてかじったような記憶もある。

Ws000267_20240106140201
1本包装のこれ。スギヨのHP(https://www.sugiyo.co.jp/special/story/vitachiku.php )より

 

信毎に寄せられたスギヨの担当者からのメッセージ。なんて律義なのかこんな大変な時にと思うと同時に、人となりが伝わってくる文章にも魅かれた。ファンになった。

Ws000268_20240106140201
信濃毎日新聞デジタルの記事(https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2024010500677 )より

 

被害の深刻さと国の動きの鈍さがニュースを見ていてつらい。無力ながらわずかだけど義援金で応援しよう、再び出荷できるようになったら忘れずビタミンちくわをツルヤ(スーパー)で買って食べよう、と思った。

 

| | コメント (4)

2024/01/03

年末年始

年末年始は実家で年を越した。大みそかから元旦にかけて日本海側から寒気の流れ込みで天気は荒れた。しかも気温が高いから雪ではなく雨。屋根にわずかに残っていた雪が雨で溶けてなでつける(屋根から雪が滑り落ちることをこういう)ゴーという音、風が雪囲いに打ち付けるバチバチという雨の音で夜中に目が覚めたくらい。詳しいことは知らないが気圧の変化で海の潮位が変わるくらいだから地殻にもなんらかの影響があるのかなと思ったりする。

年越しの魚を焼き、年越しそばをすすり、おせちも雑煮もお汁粉もご馳走になるだけご馳走になって、元旦の昼過ぎに帰りの列車に乗った。別にいつ帰っても良かったのだが、スキー場関係の兄は正月も仕事でがんばってるし、自分もニューイヤー駅伝をこたつで見てても仕方ないので帰って自分のことをやろうと思って帰ることにした。

Ws000265_20240103195501
飯山駅のアルクマ勤務中。

えきねっとでチケットを予約し、飯山線で北飯山から飯山、飯山から北陸新幹線、元旦なのでガラガラに空いてるはくたかに乗って、地震で揺れたのは東京に着いた後だったので影響はなかった。飯山で停車する新幹線は本数が少ないので次のはくたかを選んでたら足止めになってたと思う。

行きの新幹線は指定席が取れず自由席車両のデッキで立っていたが海外からの4人家族もずっと一緒に立っていた。軽くジェスチャーで軽く交流しながら退屈な時間を紛らわせてくれた。地震のニュースが伝える被害のあまりの悲惨さと避難の苦労がつらい。そして時々デッキの彼らを思い出し、日本語がわからなそうだったけど地震で困ってないだろうかと思う。

前からうすうす感づいていたが、家から駅まで歩くなか全部確認して確信した。飯山のマンホールの蓋は全部道路に沿った同じ方向を向いている。作業員の律義さを感じる。めでたさなどない年明けだったが、自分も律義に前を向いていこうと思った。今年もよろしくお願いします。

Ws000264
マンホール。雪ん子。

| | コメント (2)

« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »